「主の道を備える」  06.12.03
               マルコ1:1〜8

 神さまは、主イエスより先に、洗礼者ヨハネを世にお送りに
なりました。
 それは「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ばせる
ためでした。
 主イエスをお迎えするクリスマスの前に、この叫びの言葉を
受け止めるのは、大切なことです。
 「主の道」とはなんでしょうか。それは、預言者イザヤの言葉からの
引用です。
 イザヤは、神さまに背く罪によって破壊されたエルサレムに向かって、
神さまが進んで行こうとされている、と預言します。もちろん、破壊に
追い討ちをかけるためではありません。恐れや不安を感じる預言では
なく、慰めの預言です。
 神さまが、背きを赦し、再び関係を回復しようとして、歩み寄ろうと
しておられる。
 その神さまをお迎えするための道を用意しなさい、との呼びかけです。
 クリスマス前に、私たちは、このように呼びかける声を聞きます。
 「あなたの罪を赦すために神さまがおいでくださる。
 さあ、お迎えする準備をしなさい。心を開いてお迎えしなさい」との
叫びが響いています。
 罪ゆえの悲惨な現実にうめく人間のところに、神さまが歩み寄って
くださることを、クリスマスの出来事は明らかにします。
 そして、そこに慰めを得ます。
 現在の世も、破壊、混乱、悲惨があふれています。イザヤの時代の
エルサレムの人々と同じように、闇に覆われているように感じます。
 しかし、そのような世に、主がおいでくださるのです。主をお迎えする
ことで、人も世も、闇ではなく光に覆われはじめます。私たちだけでなく、
闇の中でうめく世の人たちも、主をお迎えすることができるようにと、
祈りたいのです。その道を整えるためには、「悔い改め」が必要です。

 悔い改めは、方向転換をして、身も心も神さまに向きなおすことです。
 神さまに向かって方向を変え、神さまをお迎えする。
 決して難しくはありません。
 洗礼者ヨハネの「悔い改めを求める叫び」に耳を傾ける人たちが
たくさんいました。
 その人たちに身を重ねながら、私たちも、クリスマスに主イエスを
迎えるのです。